京創舎Blog
2017年11月29日(水) #イベントレポート #スタッフ日記 #田村日記
【イベントレポート】11月19日開催 教育子育てフォーラム「不登校というサインの意味は?」
会員である向井正廣さんによるイベントが開催されました。
向井さんは臨床心理士として日々様々な悩みを抱える皆さんのカウンセリングをされています。
今回は「不登校というサインの意味は?」という座談会形式のイベントでした!
参加者の方は、
・お子様が不登校で悩んでいる方
・お子様の不登校を親子で乗り越えた方
・教育関係者
・親子関係に問題を抱えながら大人になった方
などさまざまでした。
親側の視点、子ども側の視点、教育者側の視点、それぞれの視点からの意見を交わすことに沢山の発見と意味がありました。
①マンガの一場面を題材に話し合う
1つ目のテーマは、小学生五年生の子が突然学校に行けなくなるシーンを描いたマンガを読み、感じたことを話し合ういうものでした。
同じマンガを読んでいても、本当に感じ方がそれぞれだということに気づかされます。
それぞれの立場と心で、意見を交わしました。
「学校側の対応が良くないのではないか?」
「親の対応が不十分なのでは?」
「本人が学校に行きたくない理由を話さないのなら、担任に問い合わせるなどの対応が必要なのではないか?」
「学校に行きたくない気持ちを親が理解していることが羨ましい。取っ組み合いしてでも学校には行かされた。」
不登校に限らず何か問題を抱えている時というのは、もちろん自分自身の気持ちに耳を澄ませることが大切です。ですがその次に大切なことは、別の視点からのとらえ方にも関心を向けてみることではないかと感じました。
意外な見方・目からうろこな意見、そういったものによって新しい視野が開かれ、問題へのアプローチが変わってきたりする場合があります。
②新聞記事を題材に話し合うorフリートーク
2つ目のテーマは新聞記事を題材に話し合うか、もしくは自分たちでテーマを設定して話し合うというものでした。
片方のグループは新聞記事について話し合い、それぞれの参加者の過去の体験話が出てきていました。「不登校=単に学校に行かないこと」ではありません。当事者の現実は時に、大変過酷な様相を呈することがあります。そのような話は、同じような問題に向き合った経験のある方同士、強く理解しあうことができます。
一般的な感覚ではびっくりされるような話も、この問題に向き合った経験のある方にとっては普通にあり得ることだったり...。そのような大変な体験を共有しあうことで生まれる気持ちの変化は大きいのではないかと感じました。
もう片方のグループは、一人の参加者の方が今まさに経験されている状況について、それぞれの立場からアドバイスをしたり意見を述べたりするかたちになりました。
自分の子どもが不登校で苦しんでいるとき、親御さんは学校と話したり、教育委員会に電話したり、進路について調べたり、外部機関に相談に行ったり、さまざまな立ち回りをして子どもを守ろうと必死です。
学校には本来様々な支援制度があるはずですが、機能しているかどうかは学校によります。不登校について親身になってくれる学校ばかりとは限りません。特にマンモス校ともなると、満足のいく対応をしてもらえない場合もあります。
冷静に考え、外部の力も借りながら、どう対処していくか?
今回は学校の先生も参加されていたので、学校の内部側からの意見も出て、興味深い内容となりました。
③感想をシェア
最後は全体で感想をシェアしました。不登校という同じ悩みに向き合う者同士、話は尽きないという感じでした。不登校という現象の背後にある、心の問題に目をむける必要性、学校が対応してくれないときにすべきこと、有効な相談機関など、具体的な内容が交わされました。
イベント全体を通して、不登校という現象が、「不登校」という単一の色彩を帯びたものなのではなく、それぞれ個別の状況・感情・関係性がおりなす固有の事態なのだということを改めて感じました。
不登校という言葉で状況を理解することも大切ですが、その一方で不登校という言葉一つでとらえられない個別の状況と向き合うこと、個別の状況がそれぞれ存在しているということを社会が理解すること、それが当事者の方々との関わりにおいてとても重要なのではないかと感じました。
京創舎スタッフ 田村