京創舎Blog
2016年10月08日(土) #スタッフ日記 #山口日記
必要なものしかない暮らしに憧れる
こんにちは。スタッフのやまぐちです。先日、本屋さんでこんな本が目に入りました。
「やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方」
単行本 わたなべ ぽん著 幻冬舎刊(※外部リンク)
作者はあるきっかけから、炊飯器、掃除機などをどんどん捨てていき、
生活がシンプルになり暮らしやすくなっていく様子が漫画エッセイという形で描かれています。
立ち読みをしながら、こんな風になれたらいいなぁと思いました。(でも、できそうにないや...。)
そう思ったとたん、本をそっと平積みの場所に返してしまいました。
暮らすってなんだろう?
気分よく暮らす。 心地よく暮らす。 丁寧に暮らす。 好きなものに囲まれて暮らす。
使うたびにウキウキするモノに囲まれて暮らす。 あると幸せになれるものと暮らす。
オープンしたばかりの京創舎は、とってもモノが少ない状態です。
必要最低限のモノしか置いていません。 私はこの状態をとてもうらやましく思っています。
今の私はモノがあふれた家に住んでいるからです。
▲1階コワーキングスペースの写真
今までは、「要る」と思って「要る」ものを購入したり、手に入れたりしていましたが、
「要る」と思って手に入れたものに囲まれているから幸せか?
というと、そうとは思えない状態になっています。
私自身、本当に「要る」かどうかの判断がとても甘かったのかもしれません。
この夏にふと、「どうしても必要なものだけを残して、要らないものを捨ててしまいたい。」
そう思うようになりました。
それ以来、少しずつ自分のモノ(家族のモノには手を出しません)を捨てていますが、ある程度までやっても、まだまだ多い状態です。
いざ捨てようと目の前に出すと、思い出があったり、もったいなく思ったりして、なかなか前に進みません。
食器ひとつとっても捨てることは難航します。
家族が多く、子供が小さかったころは沢山の食器が必要でした。
その流れで普段から稼働している食器が多く、洗い物が嫌になってきている私には分量が多すぎることが悩みの種でした。
そこで、洗うのが楽だったり、また使いたいと思う好きな食器ばかりにすれば、洗い物の時間も苦ではなくなるかも?と思ったので、あまり使わないお皿は捨てたり、仕舞い込んだり、子供用のスプーンや、洗いにくい小さなものは捨てることにしました。
そうこうしているうちに、「コレさえなけば、食器棚はもっとすっきりするのに。」というものが出てきます。
そういうものに限って、誰かからもらったモノだったり、家族が要ると思って買ってきたモノだったりします。
「これは必要ないんじゃないかなぁ」と、買ってきた人に相談しても「要るから買ってきたのに」と言われてしまいます。
喧嘩が起こってしまうこともあります。
そうすると余計に、「あれがあるせいで片付かない!」となってしまいます。
これにぶち当たると、捨てられないものに意識がもっていかれて、その先に進めなくなります。
できないことに意識を持っていけば、ほかの「捨てるものを選ばなくて済む」からです。
一種の逃避のような感じになってしまいます。
気持ちよく暮らすことが遠のく気がしてきます...。
こんな時は、片付かないものから一度離れることにしています。
「時間をおいて気が向けば、また始めればいい。」
そう思えばまた片づけができるようになるので、気分を変えたりしながら少しずつ進めています。
▲1階共有キッチンと1階コワーキングスペースの窓際席の写真
自分らしく快適に暮らすことが目的なのであれば、要らないものを増やして捨てる羽目になる前に、もっとモノとの距離を考えないといけないのかもしれません。
みなさんはモノとの暮らしをどんな風に考えていますか?
ここ(京創舎)に来るたびに、「何もなくていいなぁ」とうらやましく思う、山口でした。
京創舎スタッフ 山口